tunaumaiのブログ

産まれてきましたが死にます

まきの話

この世に生を受けて、良いこともあったけど、結果は最悪だった。ずっと嫌なことから現実逃避して、ずっと、嫌なことから目を背けてきた。

 

私の人生色んなことを中途半端に辞めてきた。

高校、結婚生活、アルバイト

 

唯一続けられているのは、一人暮らしだろうか。まだ2年も経っていないが、自分の思うようにして、これ以上いい条件の部屋は無いと思っている。自分の部屋が大好き。

 

鬱病の原因になったのは、小さい頃からの親の虐待。勉強主義で、私の感情が爆発して「もうほっといてよ!」と言うまで勉強に固執されていた。

大人になったら絶対親を訴えようと思っていた。親が憎くて仕方なかった。

母も自殺未遂した。一緒に死のうと言われて坂道でかなりの猛スピード出され、ガードレールに追突しそうになったことがある。それ以来車に乗るのが苦手になった。

 

ASDは得意な分野だけ力を発揮する。私は英語が大好きだった。毎回テストではクラス1位だった。しかし数学は毎回赤点。

私は中学生の時点で自分がASDだと分かっていた。沖田‪✕‬‪‪華さんの「ニトロちゃん」という本を読んでいた。

親にASDは理解されておらず、ただ「馬鹿」「勉強不足」と言われていた。でも数学なんか、いくら勉強しても頭に入らない。寝る間を惜しんで泣きながら机に向かっても頭に入らない。数学の授業では決まって腹痛が出た。

 

学生時代は最悪だった。

 

高校は3年生の夏に中途退学した。早く外の世界に出たかった。居候していた親戚の家も飛び出したかった。退学してからは自分のしたいことを思う存分にした。スターバックスのダークモカチップフラペチーノを朝のルーティンにして、梅田を散策。夏の暑い日だった。

 

アルバイトは10ヶ所以上は受けて落ちた。その間も結婚はしていた。ほぼニートと正社員。その正社員の裏側はパチカスと借金地獄。また閉じ込められている気がしてならなかった。

アルバイトは最終的に3つ受かった。2つはすぐ辞めたけど。

 

逃げ出した。

 

やっとひとり暮らしできた。

 

今までの気持ちが積もり積もって鬱病になった。仕事も休んだ。

鬱病がいつ治るか気になって仕方がなかった。早く仕事に戻りたい。自分の価値を認めてくれて、自分の事を頼ってもらえる職場に戻りたい。

 

鬱病が治らないうちに仕事をしてしまった。

悪化してしまった。希死念慮が止まらなかった。でも今の希死念慮とは違う。腕を切って血を見るだけのリストカット。いわゆるファッションリスカだったのかもしれない。リストカットを見てもらって、病んでる事に気づいて欲しかった。誰かに。

 

私の心を今まで支えてくれたのは、音楽だった。音楽を聴くと嫌なことも忘れられる。心を落ち着かせることもできる。

素敵なアーティストに出逢えて、人生が豊かになった。6月にあるアーティストのライブは行けないけど、同じ時代に生きれた事だけでも嬉しい。🐋🧸🌕

 

親に解放されてから、自分のしたいことは自由にやってきた。だからやり残したことはもう無い。

大切な人を置いていくのは辛いけど、また絶対に旅行に行こうね。大好き。

 

 

まき